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批評とは何か?そして村上春樹さんについて

批評という言葉がある。批評とはなんだろうか?批評に先立って何か対象がある。それは、絵画であったり音楽であったり、文学であったりするのだろう。

(作品と呼ばれるものも、さらにそれに先立つ対象があるのなら、批評と呼ばれうるかもしれない)

批評は必要か?対象(作品)に間違いがあるなら、それは指摘(批評)されるべきかもしれない。生徒がテストを解く。それを先生が丸つけする。という流れは、作品と批評の関係に似ている。個人的なポイントは、先に挙げた絵画、音楽、文学、といった作品は生徒のテストみたいな間違いがあるのかないのか、、、だと思う。

例えば、1+1=4と、テストで答えるとバツ(×)をくらいます。これでまる(○)をもらえる世界は一旦おいておきます。

間違いとはなんだろうか?1+1=4は、なにゆえに指摘されるべき間違いなのだろうか?悪影響があるのだろうか?

(悪影響・・・この記事のキーワードかもしれない)

完璧な批評ってどんなものだろう。

さて、僕は村上春樹さんの作品を読んだことがある。ただ一筋に読むといっても、いろんな読み方があると思うが、自分がどんな読み方をしてるのかはわからない。

自分が気になっている、村上春樹さんの言葉があって、「僕は今の小説家という仕事に就くまで、小説家になりたいとは思わなかった」という感じの言葉である。

この言葉は怪しいと思っている。(うーむ)

村上春樹さんの別の発言で、「神宮球場で野球観戦中のあるシーンの只中にフワフワとした啓示を感じて、小説を書けるかもしれないと思い立った」という感じの言葉がある。

そのシーン自体は想像しやすい。啓示の内容は?となると複雑な話になるかもしれないけど、それ以外はなんとなくわかりやすい。しかし、なぜ大工さんではないのか?この時降ってきた職業がなぜ小説家なのかと考えると、実は小説家という選択肢を村上春樹さんは持っていたんじゃないかと僕は思ってしまう。

または、職業の中で、小説家という職業が特別なポジションということなのだろうか?小説家という職業の特異性ゆえに落っこちてきたのだろうか?(うーむ、それに村上春樹さんは気づいていたのか?)小説を書くにとても似た行為があればそれも一緒に落ちてきていたのだろうか?

ふぅ、いやー、ここで終わります。読んでくれた方ありがとうございます。

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